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スーパー戦隊シリーズといえば、松坂桃李さんや千葉雄大さん、山田裕貴さんなど、そうそうたるメンバーを芸能界の第一線に送り出してきた、いわば若手スターの登竜門的な作品。
そんなキャストの中でも、赤色のレッド役を演じた俳優は、この先のキャリアを保証されるほどに注目されます。俳優の塩谷瞬さんは、2002年、スーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』の椎名鷹介・主演のハリケンレッド役でデビューしました。
今回は塩谷瞬さんの俳優としてのキャリヤやプロフィール、または海外ボランティアとしての活躍もまとめていきます!
塩谷瞬さんのプロフィール

俳優。個人事務所である塩谷瞬俳優事務所(株式会社 Office S)所属。
1982年6月7日生まれ。
石川県出身。
俳優として映画やドラマ、舞台を中心に活躍する。
プライベートでは、世界を旅してボランティア活動や子供達と夢の授業を行なっている。
ネパール親善大使を務めている。
- オフィシャルサイト http://shunshioya.com/
- 公式ブログ https://profile.ameba.jp/ameba/shunshioya/
- 公式Twitter https://twitter.com/SHUNSHIOYA
- 公式Instagram https://www.instagram.com/shunshioya_official/
塩谷瞬さんは、石川県金沢市出身の俳優さんです。
また、俳優活動の他にも、趣味である自転車、海外慈善活動にも意欲的です。
塩谷瞬さんの俳優としての活動

塩谷瞬さんのキャリアは、1999年3月28日までさかのぼります。
1999年ナムコ、アミューズ、ホリプロ、ニッポン放送が主催するスタアオーディションの第3回超ビッグオーディションにてナムコ特別賞を受賞し、そのオーディションで出会った大手芸能事務所の方々の助言がきっかけで、俳優を目指すことになります。
その徐、上京。上京後はアルバイトをしながら、アクターズクリニックで芝居を学びます。
その後、関西の文化を学ぶため京都へ移るなど、色々な土地で色々な経験を積んだことが、現在のマルチナ活動にもつながっています。
塩谷瞬さん、行動力が、凄い!
2000年、18歳の時に再び上京、芸能事務所を数十カ所まわり、恵比寿で回った最後の事務所のスターダストプロモーションで、なんと採用!2000年にスター集団事務所である、スターダスト所属となります。
その後の活動を考えると、不採用を出した事務所は後悔したでしょうね。
その後の活躍は私たちが知るように、忍風戦隊ハリケンジャーでデビューするんです。
2002年に主演映画『パッチギ!』(2005年 井筒和幸監督)で第29回日本アカデミー賞新人俳優賞、第27回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞するなど、芸能界で目覚ましい活躍をします。
- 『ラッシュライフ』(2009年) – 高橋 役
- 『カメレオン』(2008年、阪本順治監督) – 春川公介 役
- 『CASINO』(2008年、辻裕之監督) – 野村大樹 役
- 『天使急便 Reboot』(2008年、明石知監督) – 松田勇気 役
- 『象の背中』(2007年、井坂聡監督) – 藤山俊介 役
- 『青空のルーレット』(2007年、西谷真一監督)福山タツオ 役
- 『龍が如く 劇場版』(2007年、三池崇史監督) – 悟 役
- 『赤い文化住宅の初子』(2007年、タナダユキ監督)- 宇野克人 役
- 『初雪の恋~ヴァージン・スノー』(2007年、ハン・サンヒ監督) – 小島康二 役
- 『ROBO☆ROCK』(2007年、須賀大観監督) – ハギワラマサル 役
- 『Mayu -ココロの星-』(2007年、松浦雅子監督) – 桜田優紀 役
- 『出口のない海』(2006年、佐々部清監督) – 伊藤伸夫 役
- 『探偵事務所5』カインとアベル編(2006年、林海象監督) – ヒデ 役
- 『僕と彼女の×××』(2005年、浜本正機監督) – 上原あきら 役
- 『パッチギ!』(2005年、井筒和幸監督) – 松山康介 役
- 『天使急便』(2004年、明石知幸監督) – 松田勇気 役
- 『GIRL’S LIFE TOKYO NOIR』(2004年、石岡正人監督)
- 『忍風戦隊ハリケンジャー シュシュッとTHE MOVIE』(2002年、渡辺勝也監督) – 椎名鷹介 / ハリケンレッド 役
塩谷瞬さんの子供たちの支援活動

塩谷瞬さんは、日本のみならず海外でのボランティア活動にも精力的。
ボランティア活動から国際支援や海外協力も勢力的に参加し、JICAやAPECの企画などにも参加しています。
2011年には、「なんとかしなきゃ!見過ごせない55億人」を発起人メンバーとして立ち上げており、海外支援プロジェクトで東ティモールへ行くことになります。
2013年には、網膜剝離になった際にお世話になった医師がネパール支援を行っており、その影響で、網膜剝離完治後には、2か月間、ネパールに医療支援、チベッタンチルドレンの支援を行いました。
この功績が評価されて、ネパールから感謝状を授与され、ネパール親善大使にも任命されました。
塩谷瞬さんの自転車選手としての活躍

塩谷瞬さんは小学校6年生になってようやく自転車にのれるようになったそうです。
遅めですよね。
ただ、そこからの進化が凄い!
そこから毎日40〜50km走り、気付けば数ヶ月パンクしたときのメータ—が2000kmになっていたとか。
自転車にはなった塩谷瞬さんは、地元の自転車店のチームに勧められ、地元石川県でBMXの大会に出場、中学1年生の時は初出場の大会で優勝したんだとか!
以後、その自転車店のチームをベースに自転車競技活動を行います。
高校生では、競輪選手を目指し、高校入学と共に自転車部に所属。
トラック競技を始めるも、家庭の事情で高校を中退すると同時に上京、競輪選手の夢を断念することに。
その後俳優となった塩谷瞬さんですが、2002年からは、子供達のイベントに自転車を絡めたり、自転車イベントにゲスト出演、子供たちに自転車を教えるといった経験も。
7年後の2009年には、俳優活動を継続する傍ら、好きだった自転車への思いが再燃します。
サイクリストとしての活動を始め、今年9月の「ツール・ド・のと」に招待選手として参戦したらトップで完走、当時の実力そのままに、11月には「ツール・ド・ジャパン2009」西湖ステージに参戦します。
自転車番組などに出演し自転車に対する考え自転車の未来を話したりしているほど、自転車活動にも精一杯!
最後に
塩谷瞬さんのマルチな才能が解りましたね!
今後も塩谷瞬さんの俳優としての活動、ボランティア活動などに注目です!
本特集記事はPRです。
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