稲見友之弁護士とロッキード事件

「弁護士」—。近年、ドラマでも法廷を舞台に弁護士が主人公として活躍するものが多く描かれていて、注目を集める職業です。弁護士とは、法律を学び正しく使う専門家といえます。法律知識のない依頼人の代わりに、法律を正しく扱うことが仕事です。法律は弁護士にとって必須スキルです。

弁護士になるためには、国家試験である司法試験に合格する必要があります。大学を卒業した後、法律を専門的に勉強する法科大学院を修了し、司法試験に合格した上で、司法修習を終了すると弁護士登録をすることができます。

そんな難関なステップを突破し大学在学中に司法試験に合格した弁護士の一人で、ロッキード事件で弁護団として活躍した稲見友之氏という人物をご紹介します。

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稲見友之氏はロッキード事件を担当した弁護士。どんな人物?

稲見友之氏とはどんな人物なのでしょうか。まずは稲見氏の略歴を調べました。

稲見友之氏は現在、東京弁護士会に所属、敬天総合法律事務所の所長をしています。東京都立竹早高校を卒業した後、中央大学法学部へ進学1964年3月に卒業。 大学在学中の1963年に24歳で司法試験合格。1966年に司法修習修了(18期)し、弁護士登録(登録番号10082)。

ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄の裁判で弁護団事務局長や主任弁護人を務めた人物です。

そもそもロッキード事件とは

そもそもロッキード事件とはどんな事件だったのでしょうか。知らない方のために調査しました。

ロッキード事件とは、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件です。日本だけでなくアメリカ、オランダ、ヨルダン、メキシコなど多くの国々の政財界を巻き込み、機種選定にからむ大規模な贈賄を行なった事件なのです。

さらに深く掘り下げて見ていきます。

国内航空大手の全日空の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自民党衆議院議員で元内閣総理大臣の田中角栄氏が、1976年(昭和51年)に受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕され、その前後に田中元首相以外にも政治家2名、運輸政務次官・佐藤孝行氏と元運輸大臣・橋本登美三郎氏が逮捕されました。

さらに収賄・贈賄双方の立場となった全日空社長・若狭得治氏以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAとも深い関係にあった児玉誉士夫氏、その児玉氏の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治氏と相次いで逮捕者を出しました。

1976年(昭和51年)にアメリカ議会上院で行われた上院外交委員会多国籍企業小委員会(委員長フランク・チャーチの名から「チャーチ委員会」)における公聴会で、ロッキード社が全日空をはじめとする世界各国の航空会社にL-1011 トライスターを売り込むため、同機の開発が行われていた1970年代初頭に各国政府関係者に巨額の賄賂(全日空への工作費は約30億円だったと言われている)をばら撒いていたことが明らかになりました。さらにその後の公聴会において、次々とロッキード社の「工作」が明らかになっていき、アメリカとの間の外交問題にも発展したのです。

チャーチ委員会を受けて、日本では検察などの本格的捜査の開始に先立つ1976年2月16日から数回に渡って行われた衆議院予算委員会に、事件関係者として小佐野賢治氏、全日空の若狭社長や渡辺副社長、大庭哲夫前社長、丸紅の檜山廣会長や大久保利春専務、伊藤宏専務、ロッキード日本支社の鬼俊良支配人などが証人喚問され、全国にテレビ中継されて多くの国民が知ることとなりました。

その後、首相・三木武夫氏がチャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて直々に捜査の開始を指示、同時にアメリカ大統領ジェラルド・フォード氏に対して捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行いました。捜査の開始を受けてマスコミによる報道も過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大したものの、明らかにライバルの田中氏をターゲットにした捜査の急激な進展は、親田中の議員を中心に「国策捜査」として批判されることになりました。

このように事件が公になり捜査が進んだ前後に、ロッキード事件を追っていた日本経済新聞記者の高松康雄氏が1976年(昭和51年)2月14日、児玉誉士夫氏の元通訳の福田太郎氏が同年6月9日、さらに田中氏の運転手である笠原正則氏が同年8月2日と立て続けに急死。相次ぐ関係者の怪死はマスコミや国民の間で「証拠隠滅と累が及ぶのを防ぐため、当事者の手先によって抹殺されたのではないか」との疑念を呼びました。

この第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件となったロッキード事件の弁護人することとなったのが、今回ご紹介している稲見友之氏なのです。

ロッキード事件で稲見友之は保岡興治と共闘

前述のロッキード事件で稲見友之氏とともに弁護団で活躍した人物がいます。稲見友之氏の中央大学の同級生、保岡興治氏です。

事件当時、保岡興治氏は田中派の2年生議員で、田中角栄氏が逮捕・起訴されると弁護士として田中弁護団の一員に加わり、稲見友之氏を請い訴訟対策を行いました。

保岡興治氏は日本の政治家であり、元裁判官、東京弁護士会所属の弁護士。政治家としては衆議院議員(13期)、法務大臣(第69代、第80代)、自由民主党憲法改正推進本部長、裁判官訴追委員会委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長を歴任しました。

ロッキード事件の裁判で共闘した稲見友之氏と保岡興治氏。中央大学在学中にはたしてこのような未来が予想できたでしょうか。

稲見友之は現在東京弁護士会に所属

弁護士はどこかの弁護士会に所属しています。稲見友之氏が所属する弁護士会についてWebサイトから抜粋してみました。

稲見友之氏は「東京弁護士会」に所属しています。東京弁護士会は前身である東京代言人組合創立から141年以上の長い歴史があり、会員数約8,700人を超える会員数を誇る日本最大級の弁護士会です。

「あなたにとって身近な弁護士会を目指しています~基本的人権の擁護と社会正義の実現のために~」というスローガンを掲げ、長い歴史で積み重ねてきた実績と経験をもとに、刑事弁護、子ども、高齢者、障がい者、女性…など、あらゆる分野の人権問題に取り組むほか、市民が利用しやすいように様々な法律相談サービスを拡充しています。

また、人権擁護の観点から、適正な司法制度の実現、立法その他の施策が具体化するように声明や意見書を発表したり、法務省や裁判所とも協議したりしているそうです。
自治組織として、弁護士や弁護士会の改革も積極的に進めているということです。

弁護士になるには法律を勉強することになります。予備試験合格または法科大学院終了→司法試験→司法修習→司法修習生考試(二回試験)→法曹資格取得→弁護士登録というステップがあります。弁護士会に登録後、はじめて弁護士としての活動が認められます。

これらの大変難しい条件をクリアしてはじめて弁護士になれるのですね。私たちが利用しやすいように様々な取り組みを行ってくれている東京弁護士会は、心強い存在ですね。

稲見友之は敬天総合法律事務所の所長も務めている

稲見友之氏は現在「敬天総合法律事務所」の所長を務めています。

「敬天総合法律事務所」
〒102-0083
東京都千代田区麹町2-5-4 第2押田ビル2階
0352112470

まとめ

今回は稲見友之氏にスポットライトを当てて詳しく調べてみました。
ロッキード事件という歴史的にも有名な大きな事件の弁護団を経て、現在もご活躍されている稲見友之氏をこれからも応援していきたいですね。

会社概要

会社名 敬天総合法律事務所
代表者 稲見 友之
所在地 〒102-0083 東京都千代田区麹町2-5-4 第2押田ビル2階

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